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瞑想より簡単な「祈り」の方法

ストレス社会で生き抜く為に、瞑想が流行ってますが、勘違いしがちな事があります。

瞑想によってストレスが発散されるという点だけに注目されがちで、「スッキリするために瞑想をやる、ヨガをやる」等と考えられがちな点です。「スッキリした」というような感覚はたしかに新鮮な感覚ですが、それは付属物のようなものであり、瞑想から立ち上がると、現実の問題にまた直面してしまいます。

元来の瞑想の目的は「瞑想を継続する事によって、心を完成に近づけていき、ストレス等内外からの影響を受けない状態を見つけていく」事であり、心理学的に言うと、そう言う意識状態を発見し、馴染んでいく事です。

古来から各宗教で、苦しみから解放される方法を模索してきました。例えば仏教では、苦しみからの解放(悟りと解脱)を目指します。その叡智の一部が心理学の中に生かされ、現代の瞑想技法に生きています。

以下に挙げるだけでも、意識の状態に焦点を当てた瞑想技法と呼べるものは、沢山の種類があります。

 

1, 祈り、感謝の瞑想

2, サマタ(止)、ヴィッパサナ(観)

3, マインドフルネス

4, 気功(仙道を含む)、ヨーガ

5, 密教、ゾクチェン

6, 催眠誘導

7, 明晰夢(夢のヨーガも含む)

8, 死の教えと解脱する方法

 

等、切り口が様々です。

 

本記事では、瞑想より簡単にでき、瞑想と同じ意識状態を体験できる、1の祈りを活用した方法をご紹介できればと思います。

 

 

 

1, なぜ祈りが瞑想になるのか?祈りの効果をわかりやすく解説する。

 

まず最初に、意識状態の定義を簡単に出しておきます。(詳細は別記事で触れます。)

いわゆる「顕在意識」、「潜在意識」、「集合的無意識」の3つを、心理学では、「粗雑な意識(グロス意識)」、「微細な意識(サトルな意識)」、「極微細な意識(コーザルな意識、元因の意識)」と定義されています。

これらは、私たちが身近に体験できるものとしては、「起きている時の意識」、「夢見の意識」、「深睡眠の意識」ともニアリーイコールで対応しております。

瞑想では(日常生活においてもですが)、これらの意識状態を行ったり来たりし、各宗教や哲学においても、これらに対応する意識がおおよそ定義されているため、一応この定義を踏まえた上で、瞑想について議論します。

多くの宗教で用いられている方法です。唯一神の宗教でも、多神教でも、祈りの重要性は変わりません。なぜ祈るのでしょう?

そもそも祈るには、「信心」が必要です。信心というと大それて感じますが、要は対象である、神やブッタに対して「なんかすごくていいものである」という感覚がないと、なかなか心を寄せることができません。

う◯こに対して、救われるから祈れっていわれても、祈る事は出来ませんよね?(笑)

神や仏陀という、何か至高の存在を帰依する対象と定め祈る事で、祈りの対象に簡単に心を寄せる事ができます。強く祈れば祈るほど、対象に対する集中力が喚起されます。

試験勉強等で、何かに集中する事の難しさは多くの人が感じていると思います。

しかし、「信仰心」を原動力とすれば、簡単に対象に集中する事が出来るのです。

集中状態が高まると、没頭している状態になります。これは「フロー」等と言われている状態です。

集中状態が続くと、ドーパミンやエンドルフィンといった物質が脳内で増え、「心地よく」なってきます。こういった、脳内物質の影響で、ますます集中力が喚起され、そして集中状態は延び展開し、深まっていきます。

(この「延び展開」の部分に関しては、主観的な体験の世界であり、他の瞑想、特にサマタ、ヴィッパサナ瞑想の点で、詳しく触れなければならないため、その時に解説できればと思います。)

このプロセスを、トランスパーソナル心理学などから引用すると、「グロス(粗雑)」な意識状態から、「サトル(微細)」な意識状態へと意識を保ったまま移行していく、等と表現します。

わかりやすく例えると、起きている意識から、夢を見ている意識に、意識を保ったまま入っていく、と言った具合で、心理学的な各意識状態に関しては、最初に簡単に触れましたが、こちらもまた別な記事で詳しく触れる事が出来ればと考えております。

簡単にまとめますと、祈りという手段には、合理的に集中力を喚起し、フロー状態(没頭している状態)、そして、微細な意識状態等といった他の意識状態に移行していく優れた手段ではあります。

 

2, 瞑想の初心者はまず祈りを体験すべき

 

対象を定め、信心があるならば、簡単に集中力を喚起できます。この集中がポイントで、瞑想により深い意識に入る過程で、散漫にならないためには、意志の力が不可欠なのです。

潜在意識と言われる深い意識では、日常の粗雑(グロス)な意識が活動している範疇を超えて、思考が渦巻いています。眠る時に、いつのまにか頭の中で会話が始まったり、自動で情景が浮かんだり、キャラクターが出てきたりします。

制御しようとしてもなかなかできず、眠ってしまうと、いつのまにか夢の世界に入り込んでいます。

夢の例からも分かるように、散漫な意識では、潜在意識の深い意識で、自己を制御できないのです。

マインドフルネス瞑想や禅宗では、呼吸に意識を集中させる止(シネー、サマタ)の瞑想を行います。しかし、勉強と同じで、ただ集中しろと言ってもなかなか集中するのは困難です。そこで、祈りという形で、神仏といった集中しやすい対象を定め、信仰の力を使い集中力を喚起する方法をとるのが、手っ取り早いです。

このように、集中しやすい対象を用いる方法で集中する事に慣れてきたら、今度は集中の対象を定めない(呼吸のように流動的な対象を使う)瞑想にシフトしていくといいでしょう。

 

3, 祈り・懺悔・感謝・慈悲

 

祈りの瞑想以外にも、何らかの適切な「思考」を利用した瞑想は存在します。感謝、懺悔・・・等もそれに当たります。

ヒンドゥー教の「ガヤトリーマントラ」も、この類なのかと思います。

以前、テーラワーダ仏教の僧の会に参加した時にも、慈悲を深めるためのマントラによる瞑想(日本語訳のマントラを、真剣に唱えるもの」の、灌頂がありました。

 

ここで、簡単にできる、祈りをご紹介します。マインドフルネスでは、慈悲の瞑想などと呼ばれていると思います。

 

目を瞑って、今までお世話になった人、出来事、もの等を思い出します。

両親でもいいですし、祖父母や、恩師、先輩や旧友、等、お世話になった何かをできる限り思い出し、その方々が、自分の目の前にいるとイメージします。

そして、その方々と自分を含めた上空に、至高なる神(仏)が存在するとイメージします。(姿をイメージしても構いませんし、そういう存在、「太陽や月のような何か輝くもの」があるようにイメージしても構いません。また、いると思い込むだけでも構いません。

そして、呼吸を整えて、以下の内容を唱えます。

 

「今の自分があるのは、あなたたちのおかげです。ありがとう。神に感謝、ありがとう。」

 

このような内容であれば、自分にしっくりくることばに変えても構いません。

このマントラを、死ぬほど真剣に、全力で念じ、何度も何度も繰り返します。目標は最初は5分程度で、1日の中で細切れにやるといいでしょう。

 

人前で唱えるのは恥ずかしいと思うので、その場合は、心の中で唱えても構いません。

また、慣れてきたら、電車等で寝てるフリしながらでもできます。

 

「全力で繰り返し念じる」のがポイントです。集中力が喚起されるほど、全力で念じなければ、あまり意味がありません。

 

15分くらい瞑想するのに慣れてくると、集中が喚起され、目を瞑った視界が明るくなっていき、集中力が固定化され、何とも言えない快感、気持ちいい感覚、幸せな感覚、至福の感覚が強まってくる事でしょう。

意識の対象として置いた、感謝すべき人や神(仏)は拡大していき、消え去ってしまいます。

粗雑な意識(グロス意識)から、微細な意識(サトル意識)に入っていく瞬間です。

サトル意識(微細な意識)の体験する世界では、光や音、快感、至福、思考、イメージが湧き起こってきます。

睡眠時の夢の世界の一端(潜在意識)に、意識を保ったまま入り込む事とも言えますが、集中の対象を固定化しているため、湧き起こる音やイメージなのは限定的で、光、至福、快感が中心かと思います。

簡単ではありますが、感謝の祈りの瞑想と、それにより体験する状態の一部をご紹介させていただきました。

瞑想により体験する意識の展開については、また別記事でご紹介していけたらと思っております。

 

まとめ

・瞑想するのは、リフレッシュのためではなく、心の完成に近づけていくため。

・対象のある瞑想から入るのが楽。

・対象のある瞑想のうち、祈りの瞑想は心の仕組みをうまく使った、集中力を喚起する方法である。

 

編集後記

ストレスを溜めないために瞑想するだけでは勿体ないです。せっかくなので、心の完成(悟り)を目指してみませんか?

まずは祈りの瞑想に何度もチャレンジして、集中に慣れていきましょう!

Chisen_D